意義。


2週間ぶりの投稿。
なぜこんな間隔が空いたのか。それは僕の性格上続けることが大の苦手だからである。そしてただ単に、書き残したいことが無かったのも理由の一つ。というのも上海からベトナムに行き、毎日バカンスのように旅を楽しんでいたから。たしかにたくさんの刺激を受けたけれど、よし書こう。という気にはならなかったから。

実は今はカンボジアのプノンペンにいて、今日、トゥールスレン虐殺博物館(S21)とキリングフィールドに行ってきた。ここに来るためだけに、予定を変更してプノンペンに来た。
これらの場所が一体どうゆうところなのかを説明する前に、カンボジアについて少しだけ。

今からたったの約40年前、カンボジアではおよそ300万人もの人々が虐殺された。これは当時のカンボジアの総人口800万人のおよそ1/3に値する。この大事件の首謀者はポルポトという1人の男。彼は当時、フランス・中国留学を通し、共産主義の代名詞でもある、スターリン・毛沢東にかなりの憧れを抱いていたらしい。
そんな彼の支持を集めたのがクメール・ルージュという武装組織であった。
ポルポトが目指していたのは、原始共産制社会であり、これにより、彼が判断した全ての知識人(医者・教師・海外渡航経験者・ただメガネをかけているだけなど)が無罪にも虐殺された。

そんな過去の証跡が残されているのが、
収容所であったトゥールスレン虐殺博物館と
虐殺の現場となったキリングフィールド。
この2箇所に行って自分なりに考えたことはたくさんあるけれど、それを言いたいからこの記事を書こうとしたわけじゃない。それならばホーチミンでベトナム戦争博物館に行った時にも書いていたはず。

じゃぁなぜこの記事を書こうとしたのか。それはこのツアーのガイドとの会話にある。
「プノンペンの次はどこに行くの?」
とガイドに尋ねられ、
『シェムリアップにボランティアをしに行きます。』
そう答えた瞬間に、ガイドは顔を歪め僕に強く言った。
「お前はカンボジアのことを下に見ているのか?カンボジアはお前の助けを必要とするような国ではない!」
いきなりの事でかなり驚いた。一瞬言葉がでなかった。でも冷静に、片言の英語で自分の思いを伝えた。
「僕はカンボジアを助けるために行くのではなく、自分のためにボランティアをする。できることはしたいけれど、僕が他の人のために何かをするのはまだ早すぎる。」
上手く伝わったかはわからないけれど、ガイドも納得したように、笑顔で握手を求めてきた。

これはキリングフィールドとS21に行って思ったことと同じ。ここに来たからといって、今僕が何か行動をすることは不可能。ここで見たこと・感じたことは今後の自分のために。

そして、ボランティアは偉くない。本当にその通りである。たしかに誰かの助けとなることを行うのは素晴らしい。しかし、僕のような人間にはまだ早すぎる。まだ。だからいずれは。

ちょっと世界一周してくる。

21歳。学生。 大学3回生の1年間を休学し、世界を回ることを決意。 旅・ボランティアを通し、 心の中に広げたキャンバスに思い思いの気持ちを描く。 これと決まったテーマはないけれど、五感+直感を大切に。 このブログでは感じたこと・伝えたいことを 日記感覚で綴っていこうと思う。 Start▷2018.5.30~

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