物乞い。
ブログや日記というものは、どうやら体質に合っていないらしい。書こうと思っても面倒くささが上回り、体が拒否反応を起こす。いわゆるアレルギーである。そうゆうことにしておこう。
さて、今はタンザニア。初のアフリカ。ここでこれから2ヶ月のボランティアをして、その後アフリカを軽く縦断するつもりだ。
ボランティアをしている間はホームステイをしていて、ここにはWi-Fiがない。ボランティア活動は昼の4時頃には終わり、その後は夕飯まで現地の人達とサッカーなんかをして遊ぶのが日課である。しかしながら今僕は、インド土産の寄生虫を腸に飼っており、運動ができない。となるとそう、暇なのである。だから今こうやってブログを書いている。
旅にでてからもうすぐ4ヶ月が経つけれど、やはり感じることは多い。その中でも今回は、インドで感じた"物乞い"について書きたいと思う。
物乞い。アジアの発展途上国に行けば、誰でも向き合うことになるだろう。東南アジアでも物乞いには何回も会ったけれど、インドは物乞いの数が桁違い。インド全域がそうなのかはわからないけれど、少なくとも僕が訪れた地域では見ない日はなかった。もし、あなたが物乞いに会った時、どういった対応をするだろうか。
僕は基本的にお金は渡さない。例え、相手が大人であれ子供であれ障害持ちの人であれ。理由は?と聞かれると難しいけれど、僕にとってもお金は大切なものであることは間違いないからである。たしかに、僕にとって、“たった”1ドルが、物乞いにとって、1ドル“も”という価値観の違いが発生しているのであれば、分け与えることが正解なのかもしれないが。
また、相手が子供であったとき、手元にお菓子を持ち合わせていたら僕はあげるようにしている。お金をあげたときよりもお菓子をあげたときの方が、子供は喜んでくれることが多い。これがその子の将来のためになっているのかどうかはわからないけれど、その場で子供たちが笑顔になれるのであれば、間違っていないと信じている。
しかし一度だけ、物乞いの子供にお菓子をあげようとしたら拒まれたことがある。理由は簡単で、その子が求めていたのはお金だったから。その子の様子をその後も見ていたら、最終的に集めたお金を大人の女性に渡していた。いわゆる、雇われの物乞いだと思う。その子の仕事はお金を集めることで、その一部を報酬としてもらっているのだろうか。
また、ある知り合いは、子供の物乞いにお金を渡さなかった結果、その子供が雇い主の大人に引っ叩かれてしまったという。集めたお金が少なかったのである。それを止めるべく、その場ですぐさまお金を渡しに行ったという。
ここまで書いて、正直何が正しくて、何が間違っているのか分からない。そもそも、どちらも正解、もしくは不正解なのか。少なくとも答えはあるはず。いや、答えを求めることが間違っているのか。
そんなことを日々考えてしまうインド。
きっと、物事を良し悪しで判断するのではなく、もっと別の見方が僕には必要なのだと思う。
それは物乞いだけでなく、全ての異文化を考える上で。
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